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健康科学研究所
経営戦略、市場戦略を構築し、運用して企業に繁栄をもたらすには、
さまざまな問題解決を図らねばなならない。
その際、重要なのは経営戦略として守らねばならない基本原則を踏まえて判断を行なうこと、
および成果を呼び込むための叡智を駆使することである。
本項に述べる過去の経験が何らかの有効なヒントを提供できれば幸いである。
健康科学研究所 人間の健康を科学する研究所を作った話 その
 私は松下電工に入社して以来、50歳にして初めて、昭和61(1986)年3月に健康機器事業部長を拝命した。
 事業部の当時の状況は創設当時に比べて売り上げは半減しており、全社一の赤字事業部として、巨額の累積赤字を抱えていた。私に課せられた命題は瀕死の状態にあるこの事業部の再生と松下電工の看板事業への創建であった。
 
 巨額の累積赤字を抱えるに至った経緯については、別の機会にしたいと思うが、ここでは事業を承継した当時の取り組みの中で、再建策の中心となった健康科学研究所の創設について、そこに至る経緯を紹介する。
 
 私が引き継いだ健康機器事業部にはもともと220名ほどの従業員が所属していたが、採算を改善するため、引き継いだ時点では156名に減っており、3分の1ほどは既に配置転換されていた。売り上げも底をつき、利益は毎月5000万から7000万の赤字を続け、もう成績が下がる余地も無く、上げ潮に乗るだけと言って先輩や同輩が私を慰めてくれるほどだった。
 しかし、私が事業部長に就任したからといって、急に売り上げが戻るわけはない。毎月の赤字は止血せず、更に50名ほどの人員削減により、先ず止血をしなければなかった。幸いなことに松下電工はコングロマリットであり、いろいろな事業部から成っているので、業績の良い事業部もたくさんあり、人員不足を来たしているところもあったので、私は特に重い負担となっていた血圧計部門をシェーバーを担当していたパーソナル事業部に人も含めて預かってもらうと同時に、給料の高い部長クラスを人材の必要な別部門に引き取ってもらい、赤字を消すことにした。その結果、事業部は当初の半分ほどの110名のスリムな事業体になった。

 この時は上司であった川野凱朗氏の直接、間接の支援指導を受けて乗り切ることができたが、部内部外には強い批判が責任者である私に浴びせられた。業績が回復し始めるまでの2,3年、私は致命的な社内評価を背負うことになる。しかし、私は自分が描く事業部再建のプログラムにいささかの懸念も持ってはいなかったし、この処置の中でも転出する人々の再配置には誠心誠意その人の適材適所を考えて話し合いを進め、この危機をチャンスとして生かすべく努力を払った。

 事業部が危機に陥ったのは、すでに成熟した市場において、顧客に喜ばれる商品を出していないという商品力の不足がその原因であり、更に赤字を埋め合わせるために、帳簿上黒字化するための実は不要な生産を行って、ますます過剰在庫を抱え、処分を繰り返すという、ジレンマに陥っていたからであって、これを解決すれば、何とか目処がつく。特に主力のモミモミは家庭になくてはならない商品であり、普及率も低い。このモミモミの評価と売り上げを回復できれば、必ず黒字化は成功できるという確信があり、全ての勢力をモミモミの再建に集中した。
 
 ただ、もう一つ重要なことは、一度事業は黒字浮上できても、それを維持し、発展軌道に乗せないことには、こまねずみのようにその日暮らしを繰り返すことになる。そのためには、もみもみだけでなく、ほかに売り上げ増の期待できる新しい柱を打ち立てる必要があった。新技術の開発は事業部門のスタッフ部門である開発センターがその役割を負っていた。開発センターでは丁度、全く新しい、高周波を利用する家庭用治療器の開発が行われていた。

 私は一つの経験からこれが厚生省が管轄する薬事法の許可を取ることに成功すれば、大きな事業分野が開けると確信したが、世界的に過去に前例のないことで大きなリスクを伴うテーマであり、高周波治療器”パナコラン”の開発には数億とも思える開発投資が必要であり、事業部門の力を結集してもまだ、それを遂行する力はなく、「MEプロジェクト」の創設を全社プロジェクトとして認めるよう社長主催のPB(ポリシーボード)に提言した。

 「MEプロジェクト」の目論見は、厚生省の厳しい許認可条件に失敗に終わるかに見えたが、遂に高周波治療器パナコランとして、平成元年10月に日の目を見た。この商品の発売されるまでの経過については別項「パナコランの開発」に詳述しているので省略するが、発売と同時にスタートした「パナコランで肩コラン」のコマーシャルにより、これが一躍大ヒットとなったのと同時に、主力のモミモミ販売の着実な伸張により、健康商品事業は一躍、全社の明日を担う重点成長分野として注目され、脚光を浴びることになった。

 私は企業が社会に提唱する事業ビジョン、”市民の健康生活に貢献する”というコンセプトにそった次代の製品開発や技術革新を一気に加速させ、我々が新しく開発した高周波治療器の効用を肩こりから更に腰痛へと臨床試験で証明し、訴求範囲を拡大することや、家庭用健康管理機器の拡大、デンタルケア分野の普及拡大、メタボリック症候群の予防機器関連の開発と市場育成をはかり、一層の流通の積極取り組みへの後押しをする、そして松下電工の健康科学に対する市場先行開発の取り組みや消費者に対するブランドイメージを高めるため、MEプロジェクトをベースに、松下電工健康科学研究所の開設をPBに提言した。
 
 松下電工では創業以来、初めてその要員をを社内公募という形で集めるという形で、全社技術陣より、広く人材を公募し、健康科学研究所を平成2年(1990)12月に開設し、国民の健康保持増進に有為な研究開発を全面的に推進することとなり、今日に至っている。
1990年(平成2年)12月16日
電波新聞に公表した内容

(新聞をクリックすると拡大できます)
 (2006.6.20)続く

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