商品企画事始め
超音波美顔器事件
タイ工場を開く
健康科学研究所
経営戦略、市場戦略を構築し、運用して企業に繁栄をもたらすには、
さまざまな問題解決を図らねばなならない。
その際、重要なのは経営戦略として守らねばならない基本原則を踏まえて判断を行なうこと、
および成果を呼び込むための叡智を駆使することである。
本項に述べる過去の経験が何らかの有効なヒントを提供できれば幸いである。
タイ工場を開く

 初めて国外に独資資本の工場を立ち上げ成功させるまで

その
私の手元に、1冊の社史がある。タイMEW(株)の10周年を記念してタイMEW社長OY君が発刊したものである。
私も初代のタイMEW社長に就任したTY君に”海外調達によるコストダウンの検討を命じた上司”として一応、登場している。

しかし、進出計画を起こし工場建設に掛かったのが1987年(昭和62年)、この社史が作られたのは1999年1月。10年の経過と、、残念ながら十分な調査をもとに正確に書かなかったのか、それともその後の状況変化に都合よくまとめたのか、海外工場の経営を学ぼうとする人に対して、肝心な情報に触れていないのみでなく、実際の経過とは異なる記述があり、当事を知る者として、真の経過を述べておきたい。
完成したタイ松下電工(株)ナワナコン工場(10周年記念誌より)
そもそもこの工場を作らねばならないと考えたのは私である。
 
私は昭和61年3月に健康商品事業部長として事業部の建て直しを命じられ、続いて翌年3月にヘヤードライヤーを主力商品とするビューティーライフ事業部とを一つの事業部にすることになり、その両者を担当する事業部長に任じられた。

私は二つの赤字事業の再建を任され、海外生産展開を一つの最重要事業戦略として進めざるを得なくなったのである。予ねて私は事業部長に就任する前から、海外工場の経営には現地人、現地産業の活用が重要であること、また同時に海外経営にも社風の形成や、社会経済政治等のさまざまな環境条件の違いによって、難易があり、経験のない国内企業が海外に進出するに当たっては、致命的なリスクの少ない地域から始め、段階的に難易度の高い地域での事業展開を図るべきであるという考えを持っていた。
 
たまたま、事業部商品の対米向け商品の為替差損問題を解消するため、海外生産対策を検討していたところ、丁度、台湾に作られた合弁工場で仕事が無いというので、その前年、先ず台湾に生産の一部を移転し、計画通り、このプロジェクトを成功させていた。つまり一通りの海外経営術をマスターしていた。

それ故、ヘヤードライヤー等の世界市場進出拠点として、また高まる円高回避対策として、次は東南アジアに独資で工場を作ろうと考えていたのである。

1987年といえば国内もバブル経済真っ盛り、、海外への工場進出もピークに達していた。どの企業も我先に有利な工場立地を求め、東南アジア各国はすさまじい日系企業進出競争のさなかにあった。

当時、事業部の商品部長は後にタイ松下電工の社長になるTY君で彼自身も海外調達による一物一価の実現が経営上どうしても避けられないと考えていた。私は彼と相談し、進出するとすればどの国が良いか調べて来てくれと指示した。彼は国内で調査を行ったあと、タイ、マレーシア、インドネシアの3国をつぶさに歩き、その事情を詳しく調べた。彼はもともと商品設計技術者であり、工場計画の専門家というわけではなかった。しかし私の指示の中に、もし現地企業(工場)が誕生したら、そこの社長として赴任してもらうとの意図があることを彼自身も感じていた。だからその課題を自分のこととして、取り組み、最終的にタイを選ぶという最適解を得たのである。

彼の調査の結論に対して、私は直ちに同意した。私は経営陣から、何ぜタイか?と聞かれたときに挙げるべき答えだけをチェックすれば良かった。
このようにして、タイへの進出を決めたが、彼はタイに数箇所の候補地がある、どれにするか、と私に聞いた。私はそれもあなたに任す、あなたが良いと思うところを調べて決めなさい、と一切を任した。
 (2006.6.20)続く

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